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“Double Decade”記念企画-セルフライナーノーツ-Gu,Vo 山口編

メンバーによるこれまでの楽曲や作品を振り返るセルフライナーノーツ企画!締めくくりはGu,Voの山口編です!

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セルフライナーノーツ
Ba.村山編
Gu,Vo ジューシー山本編

Dr.辰巳編

これまでのリリースを振り返る。
このタイミングで、自分たちの曲作りのベースについて改めて考えてみる。
結成の経緯が2バンドがくっついたユニット的なものであったことは以前も書いたが、だからこそなのか、曲の作り方は4人で音を出し合ってひたすら繰り返し繰り返しで作っていくことがほとんどだ。なんとなく誰かが核となるフレーズを持ってきてそれを軸に展開していく、ということが多いが、気がつけば思っていたのとはまた違う方向に着地する。
日々の膨大な無駄の積み重ねの先に曲が出来上がっていっている、という感じ。
ボーカルをとる方が基礎となるフレーズを作っている、というケースは多いが、曲の全体感までを先導することはあまりなくて、最終的にはメンバー全員が納得する形になったものが曲として完成している。
なので、bedの月数回入るスタジオは、「曲の練習」はほとんどなくて、ひたすら曲を作っている。そういうとカッコよく聞こえるのだが、実際は「曲を作ろうとして原型っぽいものをひたすらこねくり回してはまた潰してる」みたいなことがほとんどだが…それらの積み重ねの先に、録音された曲たちがある。
曲として作ったけど結局録音されなかった、みたいなものは片手で数えるほどしかないので、そういう意味では、形になるまでとにかく煮詰めている、ということが言えるのかもしれない…。
ということで、これはメンバーでも濃淡あるかもしれないけど、自分はbedの曲については「自分の曲」とか「ジューシーの曲」みたいな認識はなくて、全部「みんなで作った曲」みたいな感じで捉えている。
各作品のタイトルやライブ企画のサブタイトル、ライブのセットリストを決めるのは自分なので、全体的なバランスについては一応多少気にはしているが…。
前置きが長くなってしまった。各リリースごとの私感や印象的な曲を挙げていこう。

「turn it off」

記念すべき初めての作品。自分はこの時までMTRでの録音くらいしかしたことがなく、ちゃんとしたスタジオで録音すること自体が初めての経験だった。
友達のかおりちゃんがiscollagecollecitveというレーベルを立ち上げるということで声をかけてくれて、録音が実現。ジャケットやマスタリングもかおりちゃんの人脈で実現。DCのSILVER SONYAでマスタリングしている。
録音は西院のスタジオハナマウイにて、現Studio SIMPOの小泉さん。
小泉さんがバンドにすごく理解があったので、緊張せずに録れたと思う。まだ自分たちのアンプも持っておらずほとんどスタジオの機材を使用しているはず。
全曲印象深いが、『Immovable Guy’s Salvation』は、このアレンジが出来上がってから、lostage(当時)の清水さんや五味兄、OGRE YOU ASSHOLEのメンバーが良いと言ってくれたり、balloonsの藤本兄が紹介してくれたりして、じわじわと知ってもらえるきっかけになった曲かもしれない。録音は自分の歌がぶっきらぼうすぎて恥ずかしくて聴き返せないが…

「Response」

1stアルバム。「turn it off」を録った後、「hakaba VA」というdOPPO橋本企画のコンピ参加に話があり、京都のMOTHERSHIP Studioで『修羅場』を録音した。
同時にImpulse Recordsからのコンピの話もあったため、まとめて録音しようと思い立ち、『70000000000人間』と『うちあがる』を同スタジオにて2006年末(ちょうどM1グランプリを見ながらだった記憶)に録音とmix。
その後、「turn it off」と同様にスタジオハナマウイで残りの曲を録音し、アルバムとして完成させた。ただ、コンピの音源をそのまま再収録するのは嫌だったので『修羅場』は録り直し(だから砂場ver.というタイトルになっている。録音がちょっと乾いた仕上がりになったからつけた)、『70000000000人間』はギターのパンを左右反転させている(だからAlbum ver.だけど誤植があってAbum Ver.という表記になっている…)
『うちあがる』は、Mix段階でエンジニアの野村氏が「曲長い割に後半の展開退屈やからボーカルにちょっとエフェクトかけたよ」というバンド的には結構アレな提案を受けた。
その仕上がりは結構良かったので受け入れた…が、バンドに理解のある人たちと録音する大切さを学んだ1枚でもある。
『おとしもの(dub)』は、地元でこどもの時からずーっと知っているアリイくん(pre.FLUID)がRATVILLEというめちゃかっこいいダブバンドをやり始めており、何か一緒にできたら、と思いオーダーした印象深い曲。この瞬間という価値がしっかりとパッケージされていて痺れる。
録音からリリースのタイミングはドラムのはるちゃんはすでに社会人だったが、自分含む他のメンバーは大学卒業〜次の進路、など人生の岐路を迎える時期でもあり、バンドの状態はそこまで良くなかったような気もする。マスタリングをEP同様にDCのSilver Sonya にオーダーしたがChad Clark氏の体調不良で作業が遅れたりもあり録音完了からリリースまで結構時間がかかってしまった。その空白の時間のせいだったのか、バンド内のテンションも微妙に。
レコ発の東京編あたりでジューシーが「俺今決まってるライブ終わったらバンドやめるわ」って言い始めたりしたこともあった(しばらくしてから、スタジオで「やるわ!」の一言でその話は無くなったが…)
バンドというもののバランスの難しさや際どさを思い出したりして、アルバムを聴き返すとヒリッとする。でもその時にしかない感覚が閉じ込められている気もして、今聴くと悪くないな、とも思うし、この空気感は今再現できないなと思う。

印象的な曲は『sophisticated man』『そして』
この時にしか出せない表現が息づいている。最初の結成時〜この辺りまでは、DC、ポストハードコア的な表現に近づけたい気持ちが強くて、でもやりきれないというモヤっとした感覚もよく現れているなと今になって思う。

「ON OFF」

「Response」をリリースした2008年あたり、バンドの状態はそこまで良くなかった気はするが、世の中的には歳やキャリアの近いバンドがどんどん世に出ていった時期でもあった。lostage、OGRE YOU ASSHOLE、MASS OF THE FERMENTING DREGS、qomolangma tomato…その流れもあったのか、bedのようなバンドでもライブにレーベル系の人が観に来る、みたいなことがちょくちょくあったりした。
その中で、最も具体的に声をかけてくれて、ライブの感想もちゃんとくれたのが、3P3Bのozkこと曽根さんだった。話を聞くと、リリースしてきたバンドの色とはまた別に、「The SmithsやThe cure、THE STONE ROSESのような、USよりもUKの湿り気を帯びたバンドがフェイバリットで、その匂いを感じるからbedをリリースしたい」というようなことを言ってくれた。
僕のフェイバリットバンドだったInspiral CarpetsやSUEDEなども大好きということで意気投合した。3P3Bからリリースする、ということに当時は意外だ、という声を結構もらったけれど、この経緯があったことがデカかったのだ。
3P3Bの周年企画ということで、コンピ「CARRY THAT WEIGHT II」に『マンデイトーキング』で参加し、東名阪ツアーにも参加した。

折しもこのタイミングで僕は就職からの配属先が東京になり、いわゆる遠距離バンド、になるのだった。メンバーに「東京勤務になったわ」と告げた時に、「ああ、そうなんや、まあ、ぼちぼちやったらええんちゃう?」みたいな言葉が返ってきて、そのくらいのノリだったから続けられたこともあるのだろう。そんな中で作ったのがこの「ON OFF」だ。
東京と京都を夜行バスや新幹線を駆使して毎週のように行き来しながら、実家の近くのコスモスタジオに長時間入って曲作りをする。
京都でライブを入れてそれに合わせて帰省し、スタジオに入り、ライブをする。
東京でライブをする時にはメンバーに午前中に東京に着いてもらって、スタジオに入ってからライブをする…。めちゃくちゃ無茶をしていたしメンバーにも無茶を強いていたなと今になれば思うけれど、この時はそれが原動力になっていた。

ちょうど京都METROの店長がFLUIDのジャックさんになったりして、bedを呼んでくれる時には遠征バンド扱いで僕の交通費を工面してくれたり、3P3Bがレーベルとして支えていてくれたことはもちろん、他にもたくさんの周りのサポートがあったからこそ継続できた活動だったと思う。
ON OFFのレコーディングは、梅田の兎我野町というホテル街に程近い場所にあったM4 IIで行った。lostageの『じゃあ、さようなら』というかなりの名曲があるのだがそれを録音したスタジオだというのが決め手だった。
メンバーみんなは家からの通いだったが、僕は梅田の大東洋やホテル関西に泊まってレコーディングした。
日々の生活環境が激変したこともあったのか、前作までにあったDC感、ポストハードコア感、みたいな、スタイル的なこだわりは薄れていき、「音楽を鳴らす」「歌を歌う」という根源的なところに少しずつ向かい合うようになっていったのだろう。
レコーディングでは、エンジニアの原田さんが僕の歌に色々と意見をくれて、「もっとやれる」「もっとリズムに乗れる」といった鼓舞をしてくれた。
本来歌うことは好きだったけれど、ことバンドにおいては歌と向かい合ってこなかった自分を歌と向き合わせてくれた作業だった。


2010年4月末、京都METROのFLUID企画でbloodthirsty butchersと初めて共演。出来上がったばかりの白盤サンプルを吉村さんに渡した。
後日、「4曲目までの流れが最高だ!ただ、ミックスはやり直せ!」というコメントをWE ARE!、perfectlifeの板垣さん経由で聞くことになる…
が、バンド的にはやはりこのリリースが一つのターニングポイントになり、歌に、曲にシンプルに向き合うことこそが自分たちのやれることなのだ、みたいな感覚になった。
2007年頃から盛り上がっていた同年代のバンドの隆盛と、当時一気に広がったtwitterを中心としたSNSでの投稿、そこでの吉村さんのツイート、などが相まって、一気に知ってもらえる人や、認めてもらえる人が増えた瞬間でもあった。
今聴くと、録音、ミックス、歌、もっともっとやれたことはあったと思うが、自分たちのバンドの歴史でも非常に重要な作品だと思う。

印象的な曲は『シンク』『そのまま』
驚くほど単純で簡単な演奏しかしていないが、歌詞も歌も、4人で演奏することで完成していく感覚がある。わからんけどコピーしてもこの感じは出せないのではないか…。
ここから歌詞を引用してくれるような曲が出てきたこともあったし、いろんな広がりを持たせてくれた、という意味でも大切な曲の一つだ。

「Indirect Memories」

2011年の4月に大阪に戻り、すぐに「still dawn EP」の録音をした。勢いがあったのでEPはすぐ完売。すぐに完売、というのは対外的にはかなりカッコいいのだが、バンドとしてはその作品にまつわる物語を紡ぐことが難しくなるので次に進むことを余儀なくされる。EPの手応えはあったので、3rd Albumは充実したものにしないと、と思いながら作っていた。

ジューシーも書いていたが、録音にかなり時間がかかった。ドラムテックを入れて、ベーシックを大阪の本町にあるスタジオで録り、ギターその他楽器の被せを別スタジオで、歌録りもミックスもかなり時間をかけた。それがむしろ普通のバンドのやり方なんだろうけれど…今まで「なんとなく」で済ませてきてたことともう一度対峙させられるような作業だった。
エンジニアの原さんがめちゃ忙しかったので、メインのスケジュールの合間を縫って作業を入れてもらっていた、というのもあるが‥録音の合間合間で原さんとする会話はかなり刺激的で、後々の録音との向き合い方の基礎になっているのは間違いない。
ギターの音色、歌のピッチ、ハモリ、コーラス、自分たちにやれることをもう一度掘り下げる作業でもあった。
ジューシー、村山、はるちゃん、自分、という4人でのグルーブとして一つの「型」みたいなものを構築できた作品でもある。この録音を通じて、後々の作品で関わってもらうLMスタジオの須田さんとも出会う。

印象的な曲は、『wall』と『通り過ぎたばかり』と『僕ら』
『wall』は歌詞が出来上がる少し前に吉村さんの訃報があったので、その時の気持ちが含まれたものになっている。いまだに演奏していると込み上げる時がある。
『通り過ぎたばかり』は完全にセッションで作り上がった。特に後半、ブレイク後の展開は、自分が遅れていったスタジオで僕以外の3人が作り上げていたのを覚えている。
『僕ら』はどうやってできたかびっくりするくらい覚えていないが、あの瞬間の4人の気持ちが詰まっている気がするし演奏しているときに後半の音の塊が自分でも訳わからなくなる、とてもエネルギーを使う曲だ。

「via nowhere」

本人も書いていたが、村山がしばらくバンドを離れることになって、当初は結構シリアスな雰囲気もあったんだけど、「バンドは続けてください」という村山のメッセージもあったのと、これまでにも何度かサポートで弾いてくれていたup and coming福本さんはもちろん、魚頭さんが「東京の時は俺弾くよ」とわざわざ連絡をくれたこともあり、なんとか今の体制でも前に進めそうだ、と前向きになれた。
これまではサポート体制では曲は作らない、という不文律みたいなものを自分の中で一方的に持っていたんだけど、それも無くして、ジューシーとはるちゃんと3人で香里園のN’Sに平日の夜入って曲作りする、という日々。収録のうち半分くらいの曲はその体制で作り上げた。

『プレイバック』は当時の通勤経路であった淀屋橋〜光善寺までの片道20分そこらを使ってiPhoneでリズムパターンを打ち込みながらざっくりと形を作ったし、『100万周年』はジューシーが茫洋とした弾き語りのデモみたいなやつを作ってきてそこから膨らました。
『シチュエーション/ジェネレーション』もジューシーが最初のリフパターンをgaragebandか何かで打ち込んだものを共有してきたはず。それに対して村山が「爆音でやりたいですね」みたいな返信をしてて、爆音感の全くないデモだったので、マジかよとか思ったけど結果的にそのアイデアが良い方向に作用していい曲になっているな、と思う。
『つまらない土曜』『クライング』は村山がバンドに復帰してからアルバム録音までに、枚方市駅のAsis Music Studioにて一気に作り上げた。今はあまりプレイしないけど好きな曲だ。
今までにない曲の作り方や活動の仕方を試しながらも前進できた作品に仕上がっている。アルバムタイトルにもそんな思いを込めた。
この辺りから、はるちゃんのバンドの関わり方に「やり切った感」が出てきたようにも思う。結果的にはるちゃんのラスト作となる。

印象的な曲は『100万周年』
村山が復帰してレコーディングでこの曲のベースラインを弾き始めた時に、「ああ、この感じこの感じ」とやけに安心と高揚があった。

「right place」

2016年の年末にはるちゃんから脱退の申し入れがあった。予兆を感じてもいたので驚きは少なかったが、申し入れ時に「はるちゃん体制でもう1作品作るか」と言ってはみたものの、なかなかやめるとわかっているメンバーと新しいものを作ることは難しく、新たな形を求めてたっさんに思い切ってオファーをした。
相当な逡巡はあったと思うが、引き受けてくれた。「via nowhere」の制作時と同様に、やると決めたら推進力を持って前に進めることが肝心であり、その先導を切るのは自分でなければならないと思っていた。
傲慢と捉えられることもあったかもしれないが、早速初ライブを決め、はるちゃんとは円満の別れだったためたっさんとの引き継ぎ的なスタジオも実施。そして曲作りへと進んでいった。3P3Bからも離れて自主で全部やることにした。とにかく形にすることを求めていた。
『完璧すぎる』を新たな4人のセッションで作り上げられた時、ここからまだまだやれるという気持ちは強めの確信に変わった。4曲+同時に録音した『僕にはわからない』も含めて、結構特別な感慨のある作品でもある。

(slowly) To Flow

最新作なのでまだ思い出、ということでもないが…たっさん体制になって少しずつグルーヴが板につき、メンバーの生活も30代後半を迎えいい意味で落ち着きが出てきたタイミングでコロナ禍に突入した。ライブが出来なくなったり制限が多くなったり、思うように活動できない中でも配信ライブやライブ盤リリース、など自分たちなりの工夫を行いテンションを維持してきたつもりだったが、アルバムを作ろう、というテンションに持っていくのにはそれなりに時間がかかった。
結果的に、それぞれの生活との向き合い方を定める機会にもなって、リラックスと緊張感を併せ持ったような良い状態でバンドに臨めるようになったような気もする。
これまでより音楽やバンドにかけられる時間は減ったが、だからこそ得られた距離感があり、俯瞰的にバンドを見る余裕も生まれた。ゆっくりとした時間が周りで流れている。焦燥感やヒリつき、という時間を経てきたからこそ生まれる音がある気がして、そんなタイトルをアルバムにつけた。
今の4人じゃないと出せない、これまで過ごしてきた時間がないと出せない、そんな音が詰まったアルバム。

『シルエット』『無難なしぐさ』の流れは気に入っている。

20年。バンド自体は、中では色々あったものの休むことなく続けてきて、それなりに作品も残せてきて、まだまだやりたいことがたくさんある。
生活、環境、移り行く中での表現。
自分自身も、メンバーも。
これから何ができるのか、そこに不安はあまりなく、期待がある。
「消え去るより燃え尽きる」ことは出来なかったが、「小さな炎でも燃やし続ける」ことは出来る。
どんな色、どんな形、楽しみながらやっていきたいと思う。

山口将司 (a.k.a.北山通のならずもの a.k.a.能書き垂れ男 a.k.a.松ヶ崎の爆弾岩)

“Double Decade”記念企画-セルフライナーノーツ-Dr 辰巳編

メンバーによるこれまでの楽曲や作品を振り返るセルフライナーノーツ企画!ドラムのたっさん(辰巳)編です!

Ba.村山編
Gu,Vo ジューシー山本編

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辰巳加入後に参加した音源は、
先日リリースされたEwoksとのsplit 7″を合わせると「right place」以降の4作品、アルバムは1作品になる。初めてbedを見たときは確か「ON OFF」収録の曲をよく演奏していた記憶。
『シンク』のイントロの重たいフィルインを聞いた時はめっちゃ痺れた。
最近は20周年ツアーで初期の曲をけっこう演奏していて、非常に楽しい。

あまり練習をしないバンドなので、最近のスタジオやライブは新鮮で自分のグルーヴも過去曲を通じて少し変わってきたように感じる。
自分の憧れは2000年前後に関西を中心に活動していたカルマステンチで、ドラムのムトウさんは力強いドラミングのグルーヴ神で非常に影響を受けた。
bedはるちゃんもパワーがあってハイハットやタムビートの刻みが独特なグルーヴ神。自分にとって影響を受けたベストドラマーの一人である。
一方、自分のドラミングはそんな神とは対象的で、そこまでパワーもないしフレーズの雰囲気は従来のbedとは全く違う感じだが、最近は過去の曲の演奏を通じて少しずつノリがフュージョンしていく感覚になっている。
なので20周年ツアーが終わった後も、過去曲を掘り起こして演奏していきたい。そして筋トレをする。それは、たぶん、これからできる曲にもいい影響がでるような気がする。6枚目のアルバムが楽しみだ。

お題のセルフライナーノーツについては、参加していない作品が多い為、晩酌のお供の音源として、おすすめを書いた。これで一杯やりますか。

turn it off

ドラフトギネスに合わせたい
つまみはティラミス
推しの一曲、『Immovable Guy’s salvation』
片手高速16ビートが渋い

Response

ハートランドビールに合わせたい
つまみはホットサンド
推しの一曲『朝、消えた』
ちょいワルな感じな8ビートが渋い

ON OFF


赤ワインに合わせたい
つまみは鰻の蒲焼
推しの一曲『ねがいごと』
bed節な8ビートが渋い

Still Dawn EP


モヒートに合わせたい
つまみはマルセイバターサンド
推しの一曲『ピリオド』
大きくも疾走感あるドラミングが渋い

Indirect Memories


ウーロンハイに合わせたい
つまみは、手羽唐
推しの一曲『言い訳』
全体の空気感を支えるどっしりしたビートが渋い

via nowhere
日本酒に合わせたい


つまみは、新居浜名物ふぐざく〜ざく豆腐
推しの一曲『シチュエーション/ジェネレーション』
歌に寄り添ったドラミングが渋い

right place & mother-w/Discharming man

角ハイボールに合わせたい
つまみはフライドポテト
推しの一曲『完璧すぎる』
ギターリフと絡むドラムパターンが渋い
同時に録音した『僕にはわからない』は、
はるちゃんから引き継いだbed節フロアタムビートが渋い

(slowly) to flow


プレモルに合わせたい
つまみはコンビーフ
推しの一曲『シルエット』
転調した渋いベースに呼応するドラムフレーズが渋い

日曜日、京都UrBANGUILDは美味しいフードが並びます!
お酒を片手に一緒に楽しみましょう!

“尼崎のジミー・チェンバレン” 辰巳

“Double Decade”記念企画-セルフライナーノーツ-Gu,Vo ジューシー山本編

メンバーによるこれまでの楽曲や作品を振り返るセルフライナーノーツ、ジューシー山本編です!
Ba.村山編はこちらから

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ジューシー山本編 

・turn it off
この前も書いたけど、「おとしもの」は最初のスタジオでできた曲。

「Immovable Guy’s Salvation(通称イグサ)」はPVがあった。今は見られない。多分。

「Ain’t Nobody(Past and Present)(通称パスタ)」はB♭M7でゴリ押しする曲。ひとつのコードでゴリ押しする曲がたまにあるけど、その原型のような曲かもしれない。

この頃はDC感やOSWEGO感を(無理やり)出そうとしていた。

あと、おとしものをやると、いつまでおとしものを探してるんだ?と言われることがある。確かにな…と思いつつ、歌詞を読んでくれていてありがとうとも思う。

・Response
この前の東京ワンマンの時、山口くんがMCで「8月」について、どういう経緯でできた曲かわからないと話していたけど、なんでこんな曲ができたのか本当にわからない。最後の自分のリフは毎回ギリギリちゃんと弾けていない。

「そして」はまたいつかやりたい曲。この頃は多くの曲が村山のベースをきっかけに作られた曲だった。「70000000000人間」の冒頭のベースは多分むらやまにしか思いつけないフレーズだと思う。

「SA/FA」はお客さんから「あの曲やらないんですか?」と言われることが(意外と)多い曲。冒頭のはるちゃんのシャウトはat the drive inを意識している。

まだこの頃は暗い曲が多い

・ON OFF
「シンク」をやり始めた頃、ウッチー(sora,killie)に「明るい感じの曲調もいいね」と言われたことをよく覚えている。あの頃はよくウッチーが袖でライブを見ていたことを思い出す。ライブが終わったあとに短い感想を伝えてくれていたことも。この時期から少しbedの曲調も変わってきたように思う。DC感みたいなものを意識しなくなった頃。

「そのまま」のドラムのタイム感は、はるちゃんの真骨頂やと思う。

「休みたい気分」は基本的にテンションやベースをすこし変えながらひとつのコードでゴリ押しする曲。「パスタ」とよく似た構造やけど、自分はこういう曲が好きだ。

・still dawn EP
「自転車」は京都にあるコスモスタジオでセッションしているときに30分くらいであっという間に曲の原型ができた。まあ曲ができる時って大体そういう感じで進んで行く。誰も喋らず、ひたすらリフを繰り返して、適当な歌詞で歌って、そこからキーワードを拾って全体の歌詞を考えていく。それの繰り返し。

ここに収録されている「自転車」は大分速いし荒い。それはそれでいい。

・Indirect Memories
多分一番時間とお金をかけて作ったアルバム。「飛距離」はまたやりたい。けどとにかく曲が長い。

今でもライブで演奏する曲が多い。

「Wall」は演奏していて一番脳汁が出る曲。なぜかはわからない。

この時、up&comingのメンバーが「アルバムを3枚出してようやくそのバンドの真価がわかる」みたいなことを言っていたと山口くんに聞かされたことを思い出し、ようやく自分たちもここまできたか、と感慨にふけった。ただ、up & comingはアルバムを3枚出していない。それも含めて最高のエピソード。

まぁ、とにかく自分はup & comingと出会ったのは山口くんやむらやまよりは少しあとだけど、音楽性のみならず、生き方や考え方にもすごく影響を受けている。

up & comingからドラムの人が抜けたあと、福本さんがドラムになった時に、「とにかく俺はこのメンバーとバンドをやりたいねん」と言っていたことを時々思い出す。

自分にとってバンドとは何かを考える時のよりどころの一つになっている。

・via nowhere
「YOU」はスタジオN’s香里園店のMスタで、山口くんがベースラインを考えていたのを覚えている。

枚方にゆかりのあるバンドマンには、スタジオN’sの話と四川ラーメンの話をするようにしている。大体盛り上がる。

「誰も知らない」、「シチュエーション/ジェネレーション」は今の作風につながる曲かな、と思う。

自分の歌や歌詞にこれまでよりも真剣に向き合いはじめた時期。

・right place
「足音」はいい曲だと思うけど、とにかく曲が長い。

「リコレクション」もまたやりたい。

・(slowly) To Flow
自分はどちらかと言えば細かいミスとかが気になるタイプだけど、この頃くらいから、そんなことは別に誰も求めてないか、そういうのはもういいか、と思い始めた時期。曲も歌詞もまぁそれなりのものができた。

「不気味なスピード」は後半、DとEon Dでゴリし押しするところが自分たちらしい。

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自分たちは基本的にスタジオに入って誰かが弾き始めたフレーズに合わせて、「ええ感じやな」と皆が感じた時点で曲を作り始めるやり方でずっとやってきた。自分が思っても見なかった方向に進んでいった時、「ああ、これは曲ができそうやな」と思う。その瞬間が来るのをひたすら待ちながら日々スタジオでセッションを繰り返してきた。

何も生まれず数時間ひたすらセッションしただけの日をこれまで何度も何度も繰り返してきた。でも、今振り返ってみれば、一見すると無駄にも思える膨大な時間の積み重ねの上にこれまでの曲や自分たちなりのグルーブがあるんだと。今はそう思っている。

今年はありがたいことたくさん演奏する機会があった。いつもの友だちや久しぶりの友だちとも話せたし、新しい出会いもたくさんあった。それに加えて今年はもう一つのバンドでもたくさん演奏できた。本当にありがたい。

来年はまた新しい曲をどんどん作っていきたい。

とにかく4人で音を出して、気持ちいのいい音の塊を作りたい。最近はそれだけをずっと考えている。

“枚方のエンジンダウン” ジューシー山本

“Double Decade” 記念企画-セルフライナーノーツ- Ba.村山編

活動20年を記念したツアーを実施してきた2025年。これまでとこれからを振り返る企画第二弾は、メンバーによるこれまでの楽曲や作品を振り返るセルフライナーノーツです。
まずはベース村山編をどうぞ!


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「セルフライナーノーツ」

いきなりだが、自身の音源を語る前に皆さんに知っておいて頂かないといけない話がある。
それは音源によって私自身の関わりに結構な濃淡があることである。
ご存知の方も多いと思うが、私は私用でちょくちょくバンドを休んでいたこともあり、(20代は特に)例えば『via nowhere』の直前は1年ほど私用でバンドを休んでおり、ほとんどのベースラインをあまり自分で考えられていないというか、曲作りにあまり参加できてない。
その為、例えば「100万周年」や「誰も知らない」「プレイバック」あたりの曲はレコーディング2、3週間前に山口くんやジューシーからこんな感じと言われたベースラインを弾いているだけである。それ自体がどうこうというつもりはなく、シンプルにベースライン自体にあまり思い入れはない。(ただ曲はいいので、それはまったく別の話)
ただ100万周年はさすがに自身の色を無理矢理入れたく、レコーディング直前に勝手に変えまくったというのは、今初めて明かす。(そして多分それはジューシーにバレてない)

余談だが…そうやって聴いてもらえると、理論上では多分ギターとズレている微妙な音の配置(これは音が合ってる合ってないの話ではなく個人的に心地よいものをただ弾いているもの、そしてたまにジューシーに強烈に修正されることもあるが)や、変なハイポジションのフレーズ(例えば、「朝、消えた」の歌の合間にあるトゥルルルというグリッサンド風、急なハイポジフレーズみたいなものはまさに意味不明)は、”ああ、これは村山だな”と思って聴いてもらえるとさらに音源を楽しんで頂けるのではないかなと思う。

ベースたるもの、歌と楽曲を活かしてなんぼの世界ではあるが、RANCID直系、DUCK MISSILE踏まえてからのNAHT(羽田さん)、fOUL(平松さん)、ブッチャーズ(射守矢さん)のダイレクト影響を踏まえていくと結局こうなってしまうので、これはもはやきっと変えられない。

とはいえ、本当はくるりの佐藤さんやRADIOHEADのコリンのような渋く、曲の完成度を2割、3割増できるようなベースを弾けるようになりたいと実は思っているが、ほぼこれも諦めている。。。

忘れていた。もう一つある。それは2010年発売の『ON OFF』というアルバムの中での話。シンプルなベースのリフからはじまる「わかってる」という曲がある。シンプルな曲調の中にややbed節のある意外と好きな曲ではあるが、この終始弾いてるベース、とても単純なリフではあるものの意外とムズカしく、レコーディングのエンジニアを担当して頂いた原田さん(M4 II)に何度もやり直しを食らった記憶がある。(原田さんはベーシストなので、特にこだわりが強い)
15年前ではあるが、当時26歳、当時の私は多分バービーボーイズしかほとんど聴いていなかった時代のはずだが、RANCID譲りのピッキングの粗さが抜けきれず、何度も録り直した記憶がある。

—————————–

ちょっと前置きが長くなってしまったが、せっかくなので、残りはベースという切り口で思い入れのある曲を少しだけ振り返ってみたい。サブスクをお持ちの方は、曲を見つけて頂きながら、聴いて頂けると有り難い。

ポーズ(Response)

これを聴くたびにベースのフレーズは何一つ成長していないと
空を見上げたくなるような気持ちになるが、20年もやると、これが持ち味だと思い込ませられるスキルを身につけられるようになってきた。いかに音数を減らしながら、渋いメロディーを展開できるかというのに当時ハマっていたが、(多分The Sortsとかばかり聴いてた)40歳を超えて、改めてこういう曲はもっとあっていいのではと思う。

Left (ON OFF)

当時デスキャブを聴き過ぎていたせいか、このコード進行だけ
提案した記憶があるが、今聴いてもデスキャブの影響にしか感じない。(良い曲だと思うが、15年以上演奏していない)

・今(ON OFF)

何を弾いてるかまったくわからない。
誰かコピーしてほしい。

言い訳(Indirect Memories)

私の手グセの極みでしかないフレーズを、しかもそのフレーズがこの曲の8割を占めるという面白みも何もない状態から、
浮揚感、冒険感のあるメロディーをつけて楽曲にしていったジューシーに感謝(どうやって完成したかは何も覚えていない)

You(via nowhere)

冒頭触れた、作曲に関わりが多くない作品の中で数少ない作曲に関わった曲。ベースとは結局ルートをいかにかっこよく弾くかという、グレンヒューズ(Deep Purple)に学んだことが最大限に活きてる曲だと個人的に思う。
曲ももちろんいいが、この曲の特に前半の空気感はベース次第、
そんな風に個人的に思っている好きな曲だ。

・足音(right place)

bedの好きな曲の中でトップ5くらいに入る。
記憶が曖昧だが、昔LOSTAGEとのライブ前に奈良のスタジオに入ってる時になんとなく完成に近づいた記憶がある。
(秋だったか冬だったか、肌寒い季節だった)
ベースも歌を邪魔しない程度にアルぺジオを弾けていて、
抑えるべきところを抑えてコード展開できている個人的に唯一の曲。そして意外と難しい。数年もやっていないが、どこかでまた演奏できればいいなあ。

僕にはわからない(mother – Split w / Discharming man)


実はちゃんと綺麗に弾けたことがない。
私にとってはすごく難しい。最初の「テロ」っていう部分が弾けない。(コピーしてくれる人求む)

これからもbedらしい曲がもっと作れれば、
そしてたくさんの方に聴いて頂ける機会があればこれ以上に幸せなことはないです。またお会いできるのを楽しみにしています。
21年目からもどうぞ宜しくお願い致します。

“ベース小僧” 村山征希

Tour 2025 “Double Decade” ワンマンに寄せて-山口将司(Gu,Vo)編-

ワンマンに向けたリレーコラムラスト!!山口将司編です!
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20 years of…

bedが活動し始めて20年が経った。
高校卒業〜浪人生の頃、当時一緒にライブを観に行ったりする友人で、今では考えられないが “音楽にめちゃくちゃ熱いカリスマ的な存在”だった村山から「大学生になったら一緒にバンドをやろう」と誘われ、バンドをやるならこの人とだなと思った瞬間から、人生の半分以上を一緒に過ごしているのだから不思議なものだ。
ジューシー山本とbedの前ドラムのはるちゃんがプレイしていたSCROLLというバンドは高校生の頃から活動していて、これもカリスマ的な存在だと自分は思っていた。

村山とバンドをやり始め、ジューシー山本やはるちゃんと正式に知り合った(それまではただライブを観に行くファンだったので)
対バン出来るようになって、少し自分が誇らしくなったりして。

bed結成までの前段階の話がある。
村山とやっていたdiarytreeというバンドからドラム(安東賢治コルトレーン内野手/ folks)が抜けることになった。

すでに決まっていた神戸でのライブがあり、飛ばしたくなかったので当時仲良くなっていたはるちゃんにサポートで叩いてもらったのだ。自分と村山と、年下だった安東君という関係性(それはそれでその頃しかない空気感でとても刺激的だったが)ではなく、ほぼ同世代ではあるが年上で、尊敬するプレイヤーだったはるちゃんと一緒にスタジオに入る、という経験は今思い出してもこれはこれでとても刺激的で、のちにbedをやれると思うきっかけになっているような気もする。
ちなみにこの日の神戸のライブにはMOD LUNGやfolioも出演していて、MOD LUNGがbedを初めて東京に呼んでくれたり、folioともこの後いろんな場所で一緒にやるようになったり(今も交流があるし)と、今につながる1日でもあったなと今更ながら思う。
このタイミングでなぜか僕がドラム(今ではほとんど知る人はいないけど結成当時のdOPPOで僕はドラマーで、バンド掛け持ちがうまくいかずにクビになっている)ではるちゃんとやっさん(my ex , us and them)とスタジオに入ったり、何てこともあった。

ベースが脱退することになったジューシー山本(とは当時名乗っていなかった気がするけどいつから「ジューシー山本」と名乗るようになったんだろう)と当時やっていたブログのコメント欄でのノリでスタジオ入ることになり、なんとなく4人で音合わせをした。
最初はdiary treeの曲をやろうとしたんだけどあまり良い感じならずすぐに適当なセッションが始まって、「おとしもの」ができた。それが多分2005年の6月か7月くらい。
ちょうど9月にdiarytreeがライブに誘われたので、このバンドで出よう、ということで誰が言い出したか忘れたけど「bed」というバンド名をつけて、できたばっかりの「おとしもの」にあと3曲ほど作ってライブに臨んだ。

まだ生きてたdiarytreeのサイト(村山作成)とフライヤー‥

そこから20年である。
いろいろあった。22歳からの20年なので、学生から社会人になり、ずっとこのメンバーでと思っていたけど一時休んだり、結婚して家庭を持ったり、転職したり、転居したり。バンドをやっていてもやっていなくてもいろいろあった20年なんだろうとは思うけれど、バンドがずっとそこにあり続けてくれたおかげで過ごしてこれた毎日や、出会いも間違いなくある。これまでの人生におけるハイライトのいくつかは、間違いなくバンドと共にある。

バンドを続けていくコツみたいなものを自分でも考えることがあるしたまに聞かれたりもする。

「みんながちょっとずつ日々の時間を分け合う、ちょっとだけ無理をすることかな」

とかそれっぽく答えてみたりするけど、それが正解なのかもわからない。ずーっと続けている先輩もまだまだいるし、共演したことのあるアーティストでもっともっと大きなステージで輝いている人もたくさんいる。僕らよりたくさんお客さんが入るバンド、たくさん音源が売れるバンドがいる。やめていった人もいるし、また始める人もいる。
結局は「自分次第」「自分たち次第」ということなんだろう。

20年以上、さまざまな変化があっても、当たり前のように定期的に顔を合わせて音を出して、曲を作って、ライブをしている。何より楽しいし、もっと言えばこれに変わるものがない、ということなのかもしれない。
続けていく中で通り過ぎていった人たち、疎遠になった人もいるしずっと近くにいる人もいる。新しい出会いもまだまだある。不義理をしてしまったこともたくさんあっただろう。反省することや後悔もいくらでも出てくる。それらも踏まえての20年という月日だと実感するし、そんな他人同士で共に時間を過ごし続けているバンドという存在の尊さを思う。

ライブの誘いが途絶えて、先々の予定がなくなる時がたまにある。
「このまま俺がバンドのLINEになんの連絡もしなかったらbedはフェードアウトするんかな」
とふと思ったりするが、気がついたら
「次のスタジオいつにしますか?候補 ⚪︎⚪︎月⚪︎⚪︎日」
みたいなLINEを送ってしまっている。メンバーから返事が来るのは数日後だったりするけども。。。「まあ、ええかな」と。そう思えることが大切なのかもしれないし、そう思わせてくれるバンドだから自分もやれているのかもしれない。

バンドの演奏というのは面白く、生き物のようにぐちゃぐちゃとうねっている。僕らは演奏は上手くないし、凝った曲構成を作ることも、自分らなりには頑張っているがやりきれていない。
もっともっと高め合い、レベルの高い音楽に辿り着きたいという気持ちは常にあるもののなかなかうまくいかない。他人同士の4人で作り上げる難しさを感じることもある。でも誰か一人が引っ張っていくのも違う。気づけば「bedのルール」みたいなものが生まれていて、それを少しずつ更新していっているのだと思う。聴く人観る人にとっては「いつも同じ」ように見えるかもしれないが、bedの中では常にうねりながら前に進んでいる。
この「うねりながら前に進んでいる」という感覚が自分にとって重要なのかもと最近感じている。もうちょっと外に伝わらんかなと思うことも無くはないけど。。

ワンマンに向けて昔の曲を掘り起こし、今のメンバーで、今のノリで演奏をしてみる。めちゃくちゃ楽しい。あの頃の気持ちと今の気持ちが織り混ざり、今しかない演奏になる。4人が別々の方向を見ているようで、向かっている目的は同じ、みたいな。
この感覚は、続けてきたからこそ得られたものだと思うし、こんな感覚を持ちながら演奏出来るんだから続けてきてよかったんだと思う。

うねりながら前に進む、という感覚を失わない限りはまだまだこれからを見せていけるだろう。自分の人生もメンバーの人生も今後どうなるかわからないけれど、いつもそこにある存在として、30年後も40年後もうねり続けていたいな、と、これは結構強めに思っている。

山口将司


Tour 2025 “Double Decade” ワンマンに寄せて-ジューシー山本(Gu,Vo)編-

ワンマンに向けたリレーコラム第三弾!!ジューシー山本編です!
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bed結成20周年に寄せて〜better trust over 40〜

bedは、もともと僕とはるちゃんがいたバンド(scroll)のベースが脱退して、山口くんとむらやまがいたバンド(diarytree)のドラム(安東賢治コルトレーン内野手 / folks)が脱退したタイミングで結成された。
ただ、結成とはいっても、それぞれが次のメンバーが見つかるまでちょっと試しに一緒にスタジオでも入ってみるか、みたいなノリで始まったと思う。
最初のスタジオ(今は無き楠葉N’sのAスタジオ)ですぐに曲ができた。
で、もともとdiarytree で誘われていたライブにbedとして出ることになり、色々あって今に至る。

bedを結成してからしばらくは、ずっとなんというか、「暫定的なバンド」という感じで自分は過ごしてきた。今振り返ってみると、結果的にはそれでよかったのかなと思っている。むらやまがしばらくバンド活動ができなくなった時、福本さん(up & coming)や魚頭さん(FIXED, CONGRATULATIONS ,storm of void)、なっちゃん(mass of the fermenting dregs, ultra)やはじめくん(malegoat ,the firewood project, mynameis, dimwork )、やっさん(my ex, us and them)がベースを弾いてくれた。
はるちゃんがギックリ腰で急遽ライブに出られなくなった時にはGくん(ex.OUTATBERO)がドラムを叩いてくれたりもした。山口くんが転勤して東京に行った時にも変わらず活動していた(山口くんは大変だったろうけど)。

曲を作るためにセッションしていて、ええ感じになってきて、あとはボーカルはどっちが歌うの?みたいな段階になった時、なんとなく役割分担してどっちかが歌い出す感じ。バンドに対する思い入れや姿勢がみたいなのが良い意味で「ええ加減」だったから今まで続けられたのかなと。

別に誰かに聞かれたことはないけど、20年同じバンド(中学2年生の時に先輩とLUNA SEAのコピバンをやった時から数えると28年くらい?)を続けてきて感じることは、結局シンプルにバンドが一番面白いってこと。バンドで曲を作ることは楽しいし、それをライブで演奏することはもっと楽しい。スタジオの前後や遠征時にメンバーと話をしたり、ライブハウスでいつも会う友達や久しぶりに会う友達と話すことも楽しい。でも、何よりも、自分たちの演奏で誰かの心を少しでも動かせたなら、こんなに嬉しいことはない。それがなくなったら潮時かな、と思うけど、幸いなことにまだもう少しは大丈夫そうだ。

bedはどちらかと言えばスローペースながら地道に新曲を作って演奏し続けてきた。だけど最近は今回のツアーに向けてもっぱら昔の曲を演奏している。たっさんにとっては新しく演奏する曲だし、自分たちもいろいろ思い出しながら練習している。最近は細かいミスやテンポの揺れなんかはあまり気にならなくなってきた。そんなことはもうどうでもいいのだ。自分たちはとにかく自分たちで作った音の塊をぶつけるだけ。
 これからはいろいろな衰えとか限られた時間とかと折り合いをつけながらやっていくことになるんだろう。でも、多分今が一番いいと思う。
                                
ジューシー山本

Tour 2025 “Double Decade” ワンマンに寄せて-辰巳俊一(Dr)編-

ワンマンに向けたリレーコラム第二弾はドラムの辰巳編です!
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バンドと20年

bed結成20年。
辰巳は2017年に加入し、はや8年。
皆様、いつもありがとうございます。
この機会に、せっかくなので自分自身の20年をさらっと振り返ってみました。

20年前、bedがZと共演し震えている頃、自分は対象的な状況だった。学生から5年くらい活動したpharmというバンドがなんとなく終わり、日本料理屋での修行もあっさりと挫折し、その後の就職もうまく行かないのに特に焦りもしなかった能天気な日々。
15年前、またバンドをやりたくなって清水雅也とスタジオに入った。SAILといういい曲ができたが、人前で演奏することはなかった。その流れでCARDが結成、2回目のライブで初めてbedと共演した。
(2010年3月26日京都スタジオSIOUX 、bed, my ex, CARD)
豪雨もあってか自分の機材を忘れてしまい、はるちゃんにスネア貸してくださいと申し出たのがbedメンバーと初めての出会い。
その後もbedと要所で一緒にライブをした。

10年ほど前にCARDを脱退。清水雅也に誘われてカメラを始めるも、なかなか続かなかった。でも一緒に曽爾高原とか色んな所へ行って撮影したのはいい思い出。
9年ほど前からmy ex/us and themやっさんとCARD白神くんに誘われ、スタジオに入ってから居酒屋に行くスタイルで遊び始める。今はスタジオ無しで月一回くらいのペースで京橋あたりをメインにこのメンバーで活動中。酒の肴はもっぱらキングダム。好きな武将の話で盛り上がる。ちなみに自分は蒙豪がお気に入り。
最近、やっさんからあの日のスタジオは自分をもう一度、バンドの現場に戻す為のものだったと聞かされ泣いた。

8年前、山口くん、CARD中野くん、Mass of the fermenting dregsなっちゃんと梅田で飲んだ。その時、はるちゃんが脱退する話を聞き驚いた。間髪入れずに山口くんから後任ドラマーに誘って頂き目の前のグリーンサラダを掴む箸が震えた。
bedに入って初めてのライブはCARDとmy exでHello Hawkの レコ発at十三FANDANGO。
緊張してコチコチのドラミングを披露。ライブ後は少し落ち込んだ。でも今振り返ればあの時、見てほしい方々を前に最高のスタートを切ったのだと思う。

7年前、CHIIOのレコ発ライブat京都nano。
楽屋にて、俺の牛丼の食べ方はツユ無しで卵2個やでぇ〜、とイキって熱弁しているとCHIIOのドラムの方が徐に会話に入ってきた。牛丼には卵黄のみ落とす、白身は熱々の味噌汁に入れる。。店長すら思いつかないカスタムが凄過ぎる食べ方をさらっと紹介され、黙らされてしまった。

6年前、自分自身は初めてのワンマンライブat下北沢シェルター。bed加入後の初音源right placeのレコ発。中3の時に一番好きなOzzyのライブで買ったTシャツを着て臨んだライブは最高に楽しかった。高まってエンコールはparanoidを演奏したい気分になった。


5年前、コロナ渦中、ライブ活動が停滞するもスタジオで少しずつ曲づくりをする日々。
CARDと配信ライブを行いbedにゲスト参加してくれた白神くんと一緒に演奏することができ、感無量だった。しっぽりと行った打ち上げでは久々の生ビールが沁みた夜だったku3年前、Craft Rock Circuit吉祥寺。めっちゃうまいクラフトビールに囲まれた夢のような一日。しこたまクラフトビールを飲んだ後、宿の前にみつけた普通の焼き鳥屋の普通の瓶ビールを飲むと何故か安心した。


2年前、June of 44来日、リハでドラムのDougさんが難しい顔をしていた。倍音とか、鳴りが気になって仕方ない様子だった。恐る恐る自分のミュート材を貸してあげると笑顔になって喜んでくれた。ライブ本番は凄まじいパフォーマンスで私のミュート材はそのまま米国へお持ち帰られた。


1年前、アルバム(slowly) to flowレコ発ツアー。札幌、ジンギスカンクラブで食べたおにぎり。千歳ライブ直後、はらぺこで帰りの飛行機に乗る前にeveparty/Hex in Fluxエガワさんに頂いたイクラ入りのおにぎりは沁みた。
静岡、打ち上げで深夜3時まで飲んだのに翌朝Congratulations魚頭さんのおはよう!がさわやかすぎてデカかった。


今年は、たくさんのライブに出させていただいた。新代田fever 吉村秀樹会、金沢day to day、karate、faraquet大阪公演、恵比寿LIQUID ROOM emotional riot、かつてのホーム扇町paradiceでの瀧井さん企画、ノーボアダムスnano、、Texas3000、、、
二十周年ツアーではfOUL、odd eyes、the act we act、貰いまくり。最高。毎度いままでで一番充実したライブができてきてるように思う。
皆様、ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。

辰巳俊一

Tour 2025 “Double Decade”ワンマンに寄せて-村山征希(Ba) 編-

bed活動20年を記念して開催されるワンマンライブに向け、メンバーそれぞれにこれまでの20年を振り返り、ワンマンライブに向けたメッセージをフリーテーマで募りました。
随時更新していきます!
まずはベースの村山より。

Tour 2025 “Double Decade”ワンマン公演の予約はこちらから!

20年。人生にとっても貴重な二十年のバンド活動に関わって頂いた全ての方々に、心より感謝を。

この二十年、記憶を辿るだけでも色々なことがあったように思うが、この機会に特に記憶に刻まれたライブを、いくつか振り返らせて頂こうと思う(過去の活動履歴が全て残っておらず、曖昧な記憶の中からであることを、どうかご容赦ください。。。)

2006/ 11/19,20 at kyoto whoopee’s UMEDA HARD RAIN
w)Z / up & coming / BIG CHINA / folio

結成して数回目のライブ(編集注 3回目と4回目)だった。Zが関西にくるということでup & comingと共に2daysを一緒にやらせてもらった。Zの狂気にも満ちた演奏に圧倒され、真剣にbedやろうと思えたきっかけだったように思う。(HARDRAINの階段のZ(魚頭さんと山田さん)のキャビの搬入はかつてないレベルの難易度の記憶)

2006/2/23
31 knots JAPAN TOUR06 at kyoto OOH-LALA
w/ lostage / FLUID / Limited Express(has gone?)
31knotsは大好きで演奏も最高だったが、フロント二人の長身が共に2m近く(体感)、見た目でも圧倒され、妙に記憶に残っている。

2013/10/26 at Kyoto Urbanguild
bed presents “turn it off〜盆地の秋〜”
w/ moools / sick of recorder

色々なライブを様々見てきたが先輩方のMCはレベルが違う。MCの面白さのTOP3は今の所、moools酒井さん、アスパラ忍さん、evepartyエガワさんである。

2016/9/16 at Kyoto urbanguild
キツネの嫁入りpresentsスキマ産業
w/ Ryo Hamamoto /AYNIW TEPO / senoo ricky
兎にも角にもRyo Hamamotoさんの歌が素晴らしかった。リハ中に地声だけで外まで聴こえてくるその声量に、しばらくryo hamamotoしか聴いてなかったくらい。

2016/10/22 at 心斎橋Pangea
KONCOS Colors & Scale Release Tour
w)KONCOS、Homecomings、やまも
シンプルにKONCOSがまじで良かった記憶がある。

2018/1/18~28 at下北沢shelter / 神戸helluva lounge / 京都METRO
MASS OF THE FERMENTING DREGS × bed「Quiet Loud Tour 2018」
神戸、京都、東京とマスドレとツーマン。
同じバンドと3箇所回るというのは楽しい。仲良くもなれる。色々と話せる。やればやるほど良くなっていく。こういう濃いツアーも今後ももっとやりたいなと思う。

2019/1/19 at扇町paradice
bed presents
“turn it off〜エンドレス・サマームード〜”
w/ ナツノムジナ/ pile of hex / And Summer Club
とにかくナツノムジナが最高だった。。。佇まい、絞られながらも重厚な演奏、歌、、いつかまた観たい。。

2019/8/17 at金沢メロメロポッチ
day to day

w/ herpiano / ゆーきゃん / herpes / T.V.not January /casette tape echo / interior palette toeshoes /やまも
この20年で4回?程お世話になっている素敵なイベントだが、なぜかこの時のherpesが一番記憶に残っている。。。
(私がヘルペスをよく発症するからという理由もきっとある)

2020/3/28 on youtube
CARD 2nd ALBUM “LUCKY ME” vinyl release stream live on YouTube
めでたいCARDレコ発だったが、コロナ直撃で急遽オンライン配信に変更。色々なものが交錯しながらの熱演、CARDは素晴らしかった。
本当に色々なひとつの境目としてのコロナ禍。なんだったんだろうかあれは。

いつか結成時からのデータの断片を揃えて、全ライブの履歴を残す作業をやりたいと思っている。今後共、宜しくお願いします。

村山征希

Podcast vol.38-Guest:土屋恭平(URGE FILM) & ムネタケナガコ(pile of hex)

Podcast更新!!
今回はいよいよ間近に迫ったfaraquet Japan Tour 2025直前特集として、ツアーを主催するURGE FILMの土屋氏_(bedとは結成前からの盟友)と、9/13大阪公演にbedとともに出演するpile of hexのVo,Gu ムネタケナガコ氏を招いての居酒屋トーク!
※ガチ居酒屋トークのため周りのお客様もガチ飲みしておりまして、お聞きづらさはご容赦ください。

ツアーに至る経緯、なぜこの共演者たちなのか?などをトークしております。

すでに売り切れ公演多数の本ツアー、まだ奈良と大阪は残あり!
迷っている方は急ぎましょう!
■チケット発売中!
イープラス
GIGGS(当日精算取り置き)



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Podcast vol.37-Guest : 中野博教(CARD)-

Podcast更新!
今回は、toddleとのスプリット12inchを4/4にリリースするCARDから中野さんに久々ご登場いただきました!


toddleとのスプリット12inchはこちら!

実はこのpodcast収録直前に緊急インスタライブをtoddleメンバーと中野さんにて実施しており、そのアフタートークとなっております。
インスタライブアーカイブ(期間限定)はこちら!

トークは名店居酒屋にて実施のためかなりパーソナルな感じになっておりますが、スプリットレコ発ツアーもあり、その予習テキスト的にもぜひお聞きいただいて、音源もライブも味わい尽くしましょう。


ツアー詳細はこちら!

  • 4/19 (土) 大阪conpass →詳細
    toddle, CARD, Fennel(7”と12”のWレコ発)
  • 4/20(日) 岡山PEPPERLAND →詳細
    toddle, CARD(12”レコ発)
  • 5/10(土) 静岡 Freakyshow →詳細
    toddle, CARD, Fennel(7”と12”のWレコ発)
  • 5/11(日) 新代田 FEVER →詳細
    toddle, CARD(12”レコ発)
  • 5/17(土) 名古屋 stiffslack →詳細
    toddle, CARD, Climb The Mind
  • 5/18(日) 京都 METRO →詳細
    toddle, CARD(12”レコ発)
  • 6/28(土) 台北 The Wall
    toddle, CARD, VOOID
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