Tour 2025 “Double Decade” ワンマンに寄せて-山口将司(Gu,Vo)編-

ワンマンに向けたリレーコラムラスト!!山口将司編です!
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20 years of…

bedが活動し始めて20年が経った。
高校卒業〜浪人生の頃、当時一緒にライブを観に行ったりする友人で、今では考えられないが “音楽にめちゃくちゃ熱いカリスマ的な存在”だった村山から「大学生になったら一緒にバンドをやろう」と誘われ、バンドをやるならこの人とだなと思った瞬間から、人生の半分以上を一緒に過ごしているのだから不思議なものだ。
ジューシー山本とbedの前ドラムのはるちゃんがプレイしていたSCROLLというバンドは高校生の頃から活動していて、これもカリスマ的な存在だと自分は思っていた。

村山とバンドをやり始め、ジューシー山本やはるちゃんと正式に知り合った(それまではただライブを観に行くファンだったので)
対バン出来るようになって、少し自分が誇らしくなったりして。

bed結成までの前段階の話がある。
村山とやっていたdiarytreeというバンドからドラム(安東賢治コルトレーン内野手/ folks)が抜けることになった。

すでに決まっていた神戸でのライブがあり、飛ばしたくなかったので当時仲良くなっていたはるちゃんにサポートで叩いてもらったのだ。自分と村山と、年下だった安東君という関係性(それはそれでその頃しかない空気感でとても刺激的だったが)ではなく、ほぼ同世代ではあるが年上で、尊敬するプレイヤーだったはるちゃんと一緒にスタジオに入る、という経験は今思い出してもこれはこれでとても刺激的で、のちにbedをやれると思うきっかけになっているような気もする。
ちなみにこの日の神戸のライブにはMOD LUNGやfolioも出演していて、MOD LUNGがbedを初めて東京に呼んでくれたり、folioともこの後いろんな場所で一緒にやるようになったり(今も交流があるし)と、今につながる1日でもあったなと今更ながら思う。
このタイミングでなぜか僕がドラム(今ではほとんど知る人はいないけど結成当時のdOPPOで僕はドラマーで、バンド掛け持ちがうまくいかずにクビになっている)ではるちゃんとやっさん(my ex , us and them)とスタジオに入ったり、何てこともあった。

ベースが脱退することになったジューシー山本(とは当時名乗っていなかった気がするけどいつから「ジューシー山本」と名乗るようになったんだろう)と当時やっていたブログのコメント欄でのノリでスタジオ入ることになり、なんとなく4人で音合わせをした。
最初はdiary treeの曲をやろうとしたんだけどあまり良い感じならずすぐに適当なセッションが始まって、「おとしもの」ができた。それが多分2005年の6月か7月くらい。
ちょうど9月にdiarytreeがライブに誘われたので、このバンドで出よう、ということで誰が言い出したか忘れたけど「bed」というバンド名をつけて、できたばっかりの「おとしもの」にあと3曲ほど作ってライブに臨んだ。

まだ生きてたdiarytreeのサイト(村山作成)とフライヤー‥

そこから20年である。
いろいろあった。22歳からの20年なので、学生から社会人になり、ずっとこのメンバーでと思っていたけど一時休んだり、結婚して家庭を持ったり、転職したり、転居したり。バンドをやっていてもやっていなくてもいろいろあった20年なんだろうとは思うけれど、バンドがずっとそこにあり続けてくれたおかげで過ごしてこれた毎日や、出会いも間違いなくある。これまでの人生におけるハイライトのいくつかは、間違いなくバンドと共にある。

バンドを続けていくコツみたいなものを自分でも考えることがあるしたまに聞かれたりもする。

「みんながちょっとずつ日々の時間を分け合う、ちょっとだけ無理をすることかな」

とかそれっぽく答えてみたりするけど、それが正解なのかもわからない。ずーっと続けている先輩もまだまだいるし、共演したことのあるアーティストでもっともっと大きなステージで輝いている人もたくさんいる。僕らよりたくさんお客さんが入るバンド、たくさん音源が売れるバンドがいる。やめていった人もいるし、また始める人もいる。
結局は「自分次第」「自分たち次第」ということなんだろう。

20年以上、さまざまな変化があっても、当たり前のように定期的に顔を合わせて音を出して、曲を作って、ライブをしている。何より楽しいし、もっと言えばこれに変わるものがない、ということなのかもしれない。
続けていく中で通り過ぎていった人たち、疎遠になった人もいるしずっと近くにいる人もいる。新しい出会いもまだまだある。不義理をしてしまったこともたくさんあっただろう。反省することや後悔もいくらでも出てくる。それらも踏まえての20年という月日だと実感するし、そんな他人同士で共に時間を過ごし続けているバンドという存在の尊さを思う。

ライブの誘いが途絶えて、先々の予定がなくなる時がたまにある。
「このまま俺がバンドのLINEになんの連絡もしなかったらbedはフェードアウトするんかな」
とふと思ったりするが、気がついたら
「次のスタジオいつにしますか?候補 ⚪︎⚪︎月⚪︎⚪︎日」
みたいなLINEを送ってしまっている。メンバーから返事が来るのは数日後だったりするけども。。。「まあ、ええかな」と。そう思えることが大切なのかもしれないし、そう思わせてくれるバンドだから自分もやれているのかもしれない。

バンドの演奏というのは面白く、生き物のようにぐちゃぐちゃとうねっている。僕らは演奏は上手くないし、凝った曲構成を作ることも、自分らなりには頑張っているがやりきれていない。
もっともっと高め合い、レベルの高い音楽に辿り着きたいという気持ちは常にあるもののなかなかうまくいかない。他人同士の4人で作り上げる難しさを感じることもある。でも誰か一人が引っ張っていくのも違う。気づけば「bedのルール」みたいなものが生まれていて、それを少しずつ更新していっているのだと思う。聴く人観る人にとっては「いつも同じ」ように見えるかもしれないが、bedの中では常にうねりながら前に進んでいる。
この「うねりながら前に進んでいる」という感覚が自分にとって重要なのかもと最近感じている。もうちょっと外に伝わらんかなと思うことも無くはないけど。。

ワンマンに向けて昔の曲を掘り起こし、今のメンバーで、今のノリで演奏をしてみる。めちゃくちゃ楽しい。あの頃の気持ちと今の気持ちが織り混ざり、今しかない演奏になる。4人が別々の方向を見ているようで、向かっている目的は同じ、みたいな。
この感覚は、続けてきたからこそ得られたものだと思うし、こんな感覚を持ちながら演奏出来るんだから続けてきてよかったんだと思う。

うねりながら前に進む、という感覚を失わない限りはまだまだこれからを見せていけるだろう。自分の人生もメンバーの人生も今後どうなるかわからないけれど、いつもそこにある存在として、30年後も40年後もうねり続けていたいな、と、これは結構強めに思っている。

山口将司


投稿者:

bedfromkyoto

京都を中心に活動するバンド、bedです。 ライブ情報、音源情報、そしてpodcast配信等を行っていきます。 更新者はGu,Voの山口です。 ライブのお誘いやお問い合わせ→info@bedfromkyoto.com podcastに関するお便りやご連絡→podcast@bedfromkyoto.com まで

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